薩英戦争 - Wikipedia: "薩英戦争(さつえいせんそう、英:Anglo-Satsuma War、1863年8月15日(文久3年7月2日) - 8月17日(7月4日))は、生麦事件の解決を迫るイギリスと薩摩藩の間で戦われた鹿児島湾における砲撃事件。薩英戦争の結果、薩摩藩は攘夷が実行不可能であることを理解し、イギリスは幕府支持の方針を変更して薩摩藩に接近した。"薩摩軍が案外強かったので、イギリスは薩摩を味方にすることに決めた。
この辺り、アングロサクソンのやり方がよく表れている。喧嘩してみて相手が強ければ味方に引き込むというもの。これがアングロサクソンがこの数百年「常勝」を続けてきた秘密とのこと(高坂正堯)。
「見ててごらん、アメリカはソ連(ロシア)中国ときっと友達になるよ」とは高坂の言。
北朝鮮についても同じ。イラクは「弱かったから」攻め滅ぼしたが、強い北朝鮮とかイランには決して攻めては行かないのである。
このへんニッポンのウヨはよくわかっていない。「おいらは強いアメリカ様と組んでいるからあいつらと喧嘩しても大丈夫、アメリカ様が助けてくれる」とばかり勇ましいことを言ったりしたりしていると、後でハシゴを外されて泣きべそをかくことになる。
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